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【インターンブログ】日本人抑留の跡地 タムガ村のサナトリウム
December 3, 2024

 今回はイシク・クル湖旅行の際に訪れたタムガ村のサナトリウムの様子をお伝えします。イシク・クル湖南岸にあるタムガ村には、かつてシベリア抑留で中央アジアに連行された日本兵が建設したサナトリウム(保養施設)があります。サナトリウムは現在も使われており、建物の一部は日本人抑留者の記憶を伝える資料館となっています。

 

 

 

サナトリウム内の日本人が建設した建物

 

 

 

 

 

キルギス抑留とは


 

 第二次大戦後、ソ連では70万ともいわれる日本人兵士や満州国官僚などが、シベリアをはじめソ連各地へ抑留され、強制労働を課せられました。飢餓、酷寒、重労働など厳しい条件の中の生活に耐え切れず、多くの人が祖国の地を再び踏むことなく命を落としました。キルギスには125人の日本人が抑留され、主にサナトリウムの建設に従事していました。奇跡的に、彼ら全員が日本への帰国を果たすことができました。


 

 サナトリウムとはソ連で一般的な保養施設のことです。キルギスのイシク・クル湖はソ連でも人気の保養地のひとつでした。タムガ村のサナトリウムは傷病兵の療養のために設立されました。日本人抑留者は、サナトリウムとビーチまでの道の建設、サナトリウムの植林に従事していました。

 

 

 

キルギス平和センター

 

 

 

平和センターがある建物

 

 

 

 現在、サナトリウムの一部には、キルギス平和センターというものがあります。当時の日本兵の手記や写真、キルギス抑留に関する資料などが展示されています。当時の様子や生活について知ることができます。かつての抑留者でおよそ60年ぶりにタムガに再訪した宮野泰さんの証言は大変興味深かったです。

 

 

 

宮野さんがキルギスに再訪した際の新聞の記事

 

 

 

 また、資料室にはサナトリウムの設備や歴史を紹介する展示もありました。ソ連時代には、あの「地球は青かった」で有名な宇宙飛行士のガガーリンも訪れていました。最近にできた施設もあるそうで、現在では保養地だけでなく、アスリートの訓練所としても利用されています。日本人が建設した建物は現在もそのままの姿で使われています。


 

 タムガ村のサナトリウムにはかつてこの地で日本人が働いていた証が現在もしっかりと残っています。サナトリウムの訪問を通じて、キルギス抑留の歴史を語り継いでいくことの大切さを感じました。みなさんもイシク・クル湖を旅行する際はぜひ立ち寄ってみてください。

 

 

参考文献

三井勝雄『天山の小さな国・キルギス』(2004)、東洋書店

宮野泰『タムガ村600日:キルギス抑留の記録』(2013)、新潟日報事業社

 

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